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【音楽をもたらす】
ケツァルコアトル(絵はケツァルコアトルで描いてますが、原典では、風(エヘカトル)だそうです)がテスカトリポカ様に頼まれて、太陽の家へ行き、音楽士をつれてきて、地上に音楽をもたらす。
青土社の『マヤ・アステカの神話』にでてくる長い詩が好きです。
「来たれ、おう、風よ!来たれ、おう、風よ!」
「目覚める暁に、夢見る男に、待っている母に、流れる水と飛びゆく鳥に、生きることはすべて音楽となれ!」
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【花の起源】
約翰さまに教えていただいた、「マリアベッキアーノ絵文書」の花の誕生神話より。
ケツァルコアトルの精より生まれたコウモリが、眠っているショチケツァルの秘所の肉片を切り取り、神々がそれを洗ったところ、花が生まれた。しかし、その花はいい香りがなかったので、コウモリはそれを冥界の王ミクトランテクトリのところへもっていった。ミクトランテクトリが洗うと、いい香りの花が誕生したという。
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【略奪婚】
テスカトリポカ様、雨の神トラロクから、トラロクの妻であった花の女神ショチケツァルを略奪、そして結婚。
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【神官王ケツァルコアトルの生い立ち】
10世紀ごろ(?)、トルテカのトゥーラ(トラン)を治めていた、トルテカ初代王で伝説の神官王ケツァルコアトルこと「セ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトル」の生い立ち。
のちに、伝説化され、ケツァルコアトル神自身と同一視されたようで、父のミシュコアトル(狩猟の神、別名カマシュトリ)同様、神と人間の狭間のような印象です。
ケツァルコアトル王の父と母のなれそめ。
父となるミシュコアトル(雲の蛇)は、町々を征服する中で、ウィツナワクにおいて、ケツァルコアトルの母となるチマルマン(盾の手。チマルマとも)に出会う。チマルマンは、丸腰どころか、素っ裸でミシュコアトルの前に立った。
ミシュコアトルは、チマルマンを狙って、次々と矢を放った。
1本目は彼女の頭上を飛んでいった。彼女がひょいと頭をかがめたからであった。
2本目は彼女のそばを通った。彼女がさっと身をかわしたからであった。
3本目は片手で受け止められ、4本目の矢は彼女の股の間を通った。彼女が足を広げたからであった。
つまり、武器を持たない彼女に、矢をことごとくかわされてしまったのだった。
ミシュコアトルはいったん引きあげたのち、再び彼女に挑もうとしたが、彼女は峡谷の洞窟に隠れて見つからなかったので、誘き出すべくウィツナワクの女たちを何人か殺した。
ウィツナワクの女たちは、チマルマンに事態を告げ、再び二人は対決した。
ミシュコアトルは、ふたたび、矢を四度放った。しかし、やはりことごとく当たらなかったのだった。
だが、このあと、ミシュコアトルは、チマルマンをつかまえることができた。
二人はいっしょに寝て、二人の間にケツァルコアトルが生まれた。
しかし、チマルマンは、陣痛で四日苦しみ、ケツァルコアトルの誕生と引き換えに死んでしまったという。
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【神官王ケツァルコアトルの若き日の復讐譚】
少年ケツァルコアトル(=セ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトル)はすくすくと成長し、父ミシュコアトルといっしょに征服に行き、戦争を学び、捕虜も得た。
だが、ケツァルコアトルの伯父である「400のミシュコア」が、父のミシュコアトルを殺害してしまう。
ケツァルコアトルは、父のかたき討ちを決意。
彼は、ハゲタカによって父の遺体が埋められた居場所を知り、父を掘り出し、遺体を父の神殿ミシュコアテペトルに安置した。
父を殺した伯父たちは、アパネカトル、ソルトン、クイルトンという名前だった。
伯父たちは、ケツァルコアトルに、ジャガー、ワシ、オオカミを、神殿に生贄としてささげるように言った。
ケツァルコアトルは、これらの動物を呼んだうえで、見かけだけ、伯父たちを生贄にすることにしたいと言い、伯父たちの首にロープを結んだ。
伯父たちは、生贄になる動物たちが悲嘆にくれているのを見ながら、神殿の上で火をおこそうとした。
ケツァルコアトルは、ホリネズミを呼び、神殿の上まで穴を掘らせ、先回りして火を起こした。
伯父たちは怒って、神殿にかけのぼってきた。
ケツァルコアトルは神殿にあったピカピカの陶器でアパネカトルの頭をなぐり、転落させた。
そして、ソルトンとクイルトンをとらえ、トウガラシをふりかけ、肉をきり、痛めつけたあと、胸を開いて生贄にしたという。
その後、ケツァルコアトルは、町々を次々と征服していった。
以上は、『太陽の伝説』での物語ですが、別の出典(『メキシコの歴史』)では、ケツァルコアトルには兄たちがいて、兄たちを殺す話があるそうです。
父のミシュコアトルと、母チマルマンの間に生まれたケツァルコアトル。母は、やはり、出産のときに死亡。
父のミシュコアトルは、ケツァルコアトルをかわいがった。
兄たちはこれを面白く思わず、弟のケツァルコアトルを殺そうとした。
兄たちは、ケツァルコアトルを大きな岩のところにおびきだし、岩の周りに火を放った。
ケツァルコアトルは、岩の中の穴に隠れて難を逃れ、その後、雄鹿を弓矢でしとめ、兄たちより先に父のもとへ持っていった。後から来た兄たちは、生きている彼を見て驚き、次の計画を立てた。
兄たちは、ケツァルコアトルに、木の上に登って鳥を射るように言い、彼が言う通りにすると、木の上の彼に向って矢を放った。ケツァルコアトルは、地面に落ち、死んだふりをして難を逃れた。
その後、弓矢でうさぎを仕留め、兄たちより先に父の元へもっていった。
やがて、父のミシュコアトルも、兄たちのたくらみに感づいて、彼らを非難した。
すると、兄たちは怒って、父を山中に誘い出して殺してしまった。
兄たちはケツァルコアトルに「われわれの父上は石になった。石にジャガーか鷲か、なにか生贄をささげよう」と言って、おびきだした。
ケツァルコアトルは木の上か岩の上にいったん逃げ、そこから兄たちを矢で射殺し、返り討ちにした。そして、彼に味方する者たちといっしょに、兄たちの頭蓋骨で杯を作って酒を飲んで酔っ払った。
そののち、ケツァルコアトルはトゥーラ(トラン)へと赴いたという。
やがて、ケツァルコアトルは、都をトゥーラ(トラン)に移し、王として統治。
トゥーラは大いに栄え、後々の世までその輝かしい繁栄は語り継がれた。
トルテカの民は宝石、金、鳥の羽根の工芸品を生み出し、トウモロコシなどの農作物は大きく育ち、さまざまな色の木綿や鳥の羽根がとれたという。
やがて、ケツァルコアトル王は、それまで当たり前の風習だった人間の生贄をやめることを決意。
だがこの改革は、人間の生贄に賛成する勢力の猛烈な反対にあい、王は失脚させられたという。
この失脚劇は、「呪術師テスカトリポカによるケツァルコアトル王の追放」という、有名な物語を生みます(次の物語で詳しく紹介します)。
【メモ】
なんで伯父を復讐で生贄にしたり、兄の頭蓋骨で酒を飲む人物が、生贄反対派になったんだ…?……というのは、出典が違うから、ということのようです。生贄反対の話が載っているのは、『フィレンツェ絵文書』『クアウティトラン年代記』などなんだそうだ。
ちなみに、伯父を殺すバージョンが載っている『太陽の伝説』では、テスカトリポカ様がでてこなくて、ケツァルコアトルは征服しまくった後、あっさり病気で死去します。びっくりです。
ケツァルコアトルの伯父のアパネカトル、ソルトン、クイルトンは、約翰さま情報によると、「川から来た者/水辺に住む者」「小さなウズラ」「小さな捕虜/富」という意味だそうです。アパネカトルはさておき、ウズラと捕虜は、生贄にするものなので、お話の中で生贄になるキャラらしいネーミングのようです。
また、兄を殺すバージョンが載っている『メキシコの歴史』では、ケツァルコアトルはトゥーラ到着後、住民が生贄を行うことの意義を知らなかったトゥーラにおいて、生贄の習慣をもたらし、神とされた…と続くそうです。生贄反対とは、真逆の展開ですね…。
さて、次はいよいよ、トゥーラの神官王ケツァルコアトルと、呪術師テスカトリポカ様の、対決の物語です。
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【神官王ケツァルコアトルの追放】
10世紀ごろ(?)、神官王としてトルテカのトゥーラ(トラン)を治めていたケツァルコアトル王を失脚させるべく、呪術師テスカトリポカ様が、あの手この手の悪だくみ。
ケツァルコアトル王の老いた姿を鏡に映して、薬と偽り、酒をしこたま飲ませ、へべれけになったケツァルコアトルを、ケツァルコアトルの「妹」と寝させてしまう(補足:「妹」となっている日本語文献は多いですが、約翰さまのお話だと、ナワトル語の原文では「姉」(hueltiuh)らしい)。なんてわるいやつだ。
酔っ払ったケツァルコアトル。飲ま飲まイェイ。
テスカ様の悪だくみのひとつ。全裸のトウガラシ売りに化けて、下半身を見せつけ、ケツァルコアトルの娘(注)を一目惚れさせて、娘婿におさまってしまう。なんてわるいやつだ。
(注:本来の説では、「ウェマクの娘」だそうです。青土社の『マヤ・アステカの神話』でケツァルコアトルの娘となっているのは、ケツァルコアトルとウェマクを同一視する説に基づいた記述らしい。)
※ウェマクについて。この話を解説した現代の文章では、政治担当でトゥーラのナンバー2などと説明されますが、約翰様によると原典のフィレンツェ絵文書ではトラトアニ(王)だそうで、後述する「クアウティトラン年代記」でトルテカ最後の王として登場するウェマクが、この話ではなぜかトピルツィン王と同じ時代に登場しているということらしい。
原典が違うとはいえ、娘と自分と…、父娘そろって、テスカトリポカ様の恋のとりこになっているんですね…。
テスカ様の悪だくみのひとつ。娘婿におさまったテスカ様は、戦で大活躍し、人気者になり、宴会を開く。宴会で呪いの歌を歌い、宴会に集まった者を問答無用で踊らせて、崖に突き落とす。なんてわるいやつだ。
テスカ様の悪だくみのひとつ。奇術師に化けて、仲間の呪術師をミニサイズにして手のひらで踊らせて、見物に群がる民衆を将棋倒しさせて圧死!!なんてわるいやつだ。
テスカ様の悪だくみのひとつ。将棋倒しの騒ぎのあと、民衆をあおり、自分を殺すように仕向ける。テスカ様の死体から出たすさまじい悪臭をかいだ人々は、バタバタと死んでいく。まさにジェノサイド。なんてわるいやつだ。
結局、ケツァルコアトル王は、王宮に火をかけ、宝を谷間に埋め、蛇のいかだにのって東の彼方トリラン・トラパラン(黒と赤の地)に去る。「一の葦の年に帰ってくる」という言葉を残して。
また、別の結末では、火の中に身を投げて、心臓が明けの明星になったのだという。
このお話は、ボリュームもあって、たたみかけるようなテスカ様の悪事の数々が楽しく、天地創造と並ぶアステカ神話のハイライト。きっと、宴会などで、面白おかしく話されて、バージョンがたくさんあった話なんだろうなあ…。
ケツァルコアトルにとっては深刻な黒歴史ですが、テスカ様は楽しそう。
前述のとおり、トルテカのトゥーラ(トラン)で、神官王ケツァルコアトルの称号をもっていた「セ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトル」という人物が、伝説化し、ケツァルコアトル神と同一視された結果、生まれた物語らしいです(ただし、当時はトピルツィン王のほかにも「ケツァルコアトル」の称号を持っていた人物がいたため、複数の人物の伝承が混ざった、という話もあります)。
トピルツィン王は、人身御供をやめようと決めたが、反対にあって失脚したと言われていますが、ケツァルコアトル神そのものは、本来、人身御供オーケーの神であるらしく、神話の中でも太陽の創造の中でイケニエしてます。
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【ウェマク王VS女体化テスカ様】
トルテカのトゥーラ(トラン)最後の王ウェマク。神官王ケツァルコアトルの称号をもっていた王といえば、「セ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトル」が有名ですが、ウェマク王など、複数の人物が持っていたもよう。
何をされているんですか、テスカ様…。ちなみに、もう一人の呪術師「ヤオトル(敵)」は、テスカ様の別名のひとつなので、そちらもテスカ様の化身…?(参考:約翰さまのnote(「テスカトリポカはトウガラシ売りに化けてケツァルコアトルの娘を誘惑した」の検証記事))
この後、飢饉となり、困難の果てにウェマクは死亡し、トルテカ滅亡です。
ちなみに、ウェマク王は、手のひら4つ分のお尻の大きい女性が好みのタイプだったという伝承があるそうです。
(この女体化神話は、日本語の本では見かけない話ですが、英語で出典の神話を読む場合は、グーグルの「Google ブックス」の検索でcodex chimalpopocaの単語を検索→黒っぽい表紙の本History and Mythology of Aztecs: The Codex Chimalpopocaがヒットしたら38ページの、8:50の箇所を見てみてくださいませ。)
この神話を題材に、deviantARTで、エルサルバドル&英国の絵師さんがタッグを組んだ絵をご紹介します。
ううむ…このヒップならウェマクはいちころでダウンだ…。
The fall of Tollan - Sketch compilation 1 by Kamazotz on DeviantArt
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【アステカの都の建設】
伝説の地アストランを出て、メキシコ中央高原にやってきたアステカの人々は、14世紀、1325(1345)年、部族神ウィツィロポチトリの「蛇を食べるワシがいる場所に都を建てろ」というお告げを聞き、テスココ湖の小島でその吉兆を目にし、湖上都市テノチティトランを建設した。
アステカの滅亡後は、湖は埋め立てられ、テノチティトランは現在のメキシコシティーとなり、今も栄える。蛇を食べるワシは、メキシコ国旗にも描かれるシンボル。
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【滅亡の予言をする酔っ払い】
アステカ帝国の滅亡の前。当時のアステカ君主モクテスマ2世は、あらわれたスペイン人のもとに、次々と使者を送った。
その中で、スペイン人を呪い殺すために魔術師、呪術師、神官の三人が派遣された。
彼らがスペイン人のもとに向かおうとすると、道中、テスカトリポカ神がチャルコ人の酔っ払いの姿で現れた。
酔っ払いは、モクテスマ2世の対応のマズさをののしり、怒り、アステカの滅亡を予言して、炎上する街のビジョンを見せる。
この話を聞いたモクテスマ2世はひどく打ちのめされたという。
テスカトリポカ様は、信者が祈りを捧げたら何とかしてくれるタイプの神様ではないらしい…。絶対的な存在、理不尽の体現。
また、テスカトリポカ神はアステカの王権の神でもあり、王がヘマをしたら罰すると言われています。
こちらの出典は、「フィレンツェ絵文書」の12書の第13章で、『アステカ帝国滅亡記』(法政大学出版局、1994)で日本語で詳しく読めます。
余談ですが、その国で信仰を集めていた主神が、滅亡の前に都市を見放すというのは、メソポタミアや旧約聖書でもあるそうです。
『古代オリエントの神々』(小林登志子著、中公新書、2019)235ページ。
メソポタミアで、偉大な神であるエンリル神が怒って立ち去り、見放されて、都市が滅亡したという、アッカド王朝滅亡を描く『アッカド市への呪い』、ウル第三王朝の滅亡を描く『ウル市滅亡の哀歌』という文学作品があるそうです。
他民族によって国が滅亡した時に、自分たちの神がよその神に負けたからだと考えるよりは、王がヘマをして神に見放されたから滅亡したと考える方が、救いがあったのでは…というのは、切なくも腑に落ちる話です。
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【世界の滅亡】
「絵によるメキシコ人の歴史」による世界の滅亡(約翰さまに教えて頂きました!!)。
「ツィツィミメが天から降りてきて人々を喰らい、神々は自ら死に、テスカトリポカが太陽を奪い去り全ては滅ぶ」。
さよなら世界。
でも、たぶん、テスカトリポカ様にとっては、「さて、また新しく世界を作るとするかー」くらいにしか思われていないな…。
星の魔物ツィツィミメは、蜘蛛のように頭を下にして降りてくる…と、描いた後で思い出しました…。一柱くらいそういうポーズを入れればよかった…。
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【アステカ神話の読書について】
約翰さまのアステカ神話サイト「In Tlili In Tlapalli―アステカ神話豆知識―」に、読書案内がありますので、そちらを参照されるとよいかもしれません。
私が思いつくものをあげると…。
丸善ブックス(2024年に、ちくま学芸文庫にて復刊)『アステカ・マヤの神話』カール・タウベ/藤田美砂子訳(おすすめ。薄い本で、内容は簡潔)
青土社『マヤ・アステカの神話』(おすすめしません。メジャーな本ですが、原著は1967年だから50年前の本らしいので、内容は古めらしい。ケツァルコアトルが美化されているらしい)
現代教養文庫『マヤ・インカ神話伝説集』(おすすめしません。こちらはさらに内容が古い上に(90年近く前)、日本人が資料にない創作アレンジを加えたものらしい。元の本である『神話伝説体系メキシコ・ペルー神話伝説集』が昭和3年初版。昭和ヒトケタの本です。ちなみに、松村武雄『メキシコ・ペルー神話と伝説』で検索すると、近代デジタルライブラリーにおいて、ネット上で読めます。アレンジや創作性が強いと頭において読むと、先駆者としては貴重な本かも。)
……などがあります。
正直、アステカ神話関係の本は、あまり出ていなくて、古い説やあやしい記述も多いというのが実情のようです。
約翰さまが、「In Tlili In Tlapalli―アステカ神話豆知識―」において、日本のアステカ神話本の、あやしい箇所をまとめて、記事を書かれていますので、アステカ神話の本を読まれたのち、内容を補完するために、あわせてお読みください。
「有名だからといって信頼できるとは限らないアステカ神話のあれこれ」
http://www.yarakashido.com/rswt/aztec/column/index.html
ざっというと、
■テスカ様にさらわれた、雨の神トラロクの最初の妻は、トラソルテオトルでなくてショチケツァルである。
(原典のカマルゴの『トラスカラ史』ではショチケツァルだった。しかし、ショチケツァルとトラソルテオトルを同一視する説もあり、日本では、昭和三年初版の『神話伝説体系メキシコ・ペルー神話伝説集』において、テスカ様がトラロクの妻を奪う話が、トラソルテオトルの物語として紹介された。同じ本の、隠者ヤッパンを誘惑したトラソルテオトルの話も、原典ではショチケツァルであるらしい。確かに、deviantARTで海外のアーティストの作品を見ると、トラロクの最初の妻は軒並みショチケツァルで、トップレスでお色気たっぷり女神として描かれるのを目にします)
■イツトラコリウキとイツパパロトルは「夫婦」ではない。
(いっしょに登場する箇所もあるらしいが、はっきり夫婦ではないらしい)
■太陽神トナティウの「妻」は夜の太陽ヨワルテクトリではない。ちなみにヨワルテクトリは女神ではなく「男神」である。
(ヨワルテクトリはトナティウの「counterpart(対になる神)」であると書かれた本があり、それが、日本語で「配偶神」と訳され日本で出版(『ヴィジュアル版世界の神話百科アメリカ編』)。原著では「He」使用の男神なのに、「配偶神」の単語で誤解され、その後に日本で出た土方美雄著『マヤ・アステカの神々』で「妻」と記載され、日本限定で女神扱いになったらしい)
■太陽の創造のさい、ショロトルが目玉が流れるほど泣いたのは、「神々が犠牲となって死んでしまったのを悲しんだため」ではなく、生贄になるのを恐れたため。
(原典の『フィレンツェ絵文書』では、ショロトルは生贄になるのを恐れて泣きすぎて両目を流したが、日本では、昭和三年初版の『神話伝説体系メキシコ・ペルー神話伝説集』において、悲しみのあまり泣いて涙を流したという話にアレンジされて紹介された)
■「若者が、恋する乙女に振り向いてもらいたいという願いをかなえてもらうため、ケンカして勝てば願いをかなえてもらえるというテスカトリポカ様に戦いを挑み、一騎打ちして勝って、テスカ様に願いをかなえてもらった」という神話は日本人の創作で、テスカ様がそんな理由で負けた神話はない。
(テスカ様はヨワルテポストリなどの化物の姿をとり人間にケンカを売り、人間がそれを負かすと幸運が得られる、という話はあるものの、「恋愛成就が目的の人間の若者にケンカで負けた」というヘタレな話はなく、昭和三年初版の『神話伝説体系メキシコ・ペルー神話伝説集』における創作であるらしく、日本限定の話らしい。私は、それを知らず、テスカトリポカ様がケンカに負けるネタを何回も描いていました…。テスカ様すみません…。そういや、水木しげる御大の本(『続・世界妖怪事典』(東京堂出版、平成12年初版)でも、人間の若者にパンチされるテスカ様の絵付きで紹介されてました。これはこれで必見です)
■「ケツァルコアトルは、サンダルをふって火を起こし、人間に火を与えた」エピソードは、昭和三年初版の『神話伝説体系メキシコ・ペルー神話伝説集』で紹介されたが、本来はケツァルコアトルの神話ではない。
(マヤの『ポポル=ヴフ』に登場する神トヒールのサンダル火起こしエピソードが存在し、ケツァルコアトルとトヒールを同一視した学者がいて、そのエピソードをケツァルコアトルのものととらえたそうだ)
他にもたくさん載ってます。
……と、いうわけで、アステカで作品を描く方は、記事をチェックして知っておかないと、私のように泣くぞ…。
私の場合は、初めてアステカを描いたのが1997年ですので、古い説や間違いを元に描かれた作品も多いもので、その場合は、なるべく注釈つけてサイトに載せてます(説はどんどん変わるものですし、間違いもするものですので、今後も注釈つけての作品発表でいきます)。
神話を元にした創作の場合、オリジナル設定を考えるのは漫画描きの楽しみで、本来の神話と違うものをあえて設定として採用するのは、もちろん、大いにありだと思っています。
でも、私のように、本来の神話でないものを本来の神話だと思って描いてしまう場合は、意味合いが違ってきて、間違いと分かった時の、描き手の心理的ダメージがでかいです…。
日本のアステカ神話研究者の皆様、お願いですので、どうか、われわれ一般読者にむけて、最新の説を発信してくださいませ。
アステカ神話の物語と神様紹介の両方が載っている、最新決定版の本とか、出してほしいなあ。
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